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鴻池朋子展「皮と針と糸と」新潟県立万代島美術館
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鴻池朋子展「根源的暴力Vol.2 あたらしいほね」群馬県立近代美術館
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鴻池朋子個展「根源的暴力」神奈川県民ホールギャラリー
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作家ステイトメント「根源的暴力」
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高嶋英男個展「空壺の人」
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リマッピング日比谷プロジェクト2014 都市と森の境界に現れるアート
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美術館ロッジプロジェクト 森吉山小屋  壁画設置作戦&報告会「森吉山小屋と雪の女王」
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目に見えないものと対話する方法「精霊の学校」
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鴻池朋子  Wild Things−Where Masters of Ecstasy Are
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鴻池朋子 Earthshine:Artist Statement
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鴻池朋子 Earthshine:Gallery Wendi Norris(San Francisco)
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大小島真木『遺伝子の地図ーChanting genes』
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大小島真木「The Knock」Vol.3
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大小島真木「The Knock」Vol.2
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大小島真木 遺伝子の地図 − chanting genes
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大小島真木「The Knock」Vol.1
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美術館ロッジ 作戦4「舟、森吉山小屋へ到着!」
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美術館ロッジ 作戦3「舟、森吉山を登る」3/13
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美術館ロッジ 作戦3「舟、森吉山を登る」初日(3/12)
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美術館ロッジ  作戦3「舟、森吉山を登る。」
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美術館ロッジ 森吉1•2作戦
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動く人間 04 : 福森伸
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ULTRA   3 New Artists
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動く人間 03:笹尾千草
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作者不在トークセッション Document <PART 1>
作者不在トークセッション Document <PART 1>
作者不在トークセッション Document <PART 2>
作者不在トークセッション Document <PART 2>
作者不在トークセッション Document <PART 3>
作者不在トークセッション Document <PART 3>
作家は何も気づいていない Picnic at Hanging Rock
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東恩納裕一 After the Picnic
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ミミオ図書館&試写会 in 東京
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隠れマウンテン&ヴォルカノイズ Vol.2
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隠れマウンテン&ヴォルカノイズ Vol.1
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作者不在トークセッション Document <PART 3>

藤原:私たちは、乙女チックとかお母さんとか言っていますけど、参加者の皆さんはどう思われますか。

坂本:母性なのか父性なのか、よくわからないところもありますよね。だって、別に母性に対する眼差しという感じはしないでしょ。鴻池さんには、前にちょっと言ったんですけど、お父さんじゃないのかな…。

鴻池:どれがお父さんですか?<apparition>が?光が?言っちゃってください。

坂本:<apparition>のネックレスが…。もっと言えば、ネックレスをする首が…。

鴻池:お父さんの先に奇麗なものが見える感じ?

坂本:お父さんは、普通は当然男なんだけど、東恩納さんのなかでは母親像と父親像が重なるっていうか、倒錯しているような感じがする。<シャンデリア>も、父母像のようにも見えてくる。

鴻池:お父さんはいるけどお父さんは見ていなくて、お母さんのなかにお父さんを見ているということ。

坂本:のように見えるんだけど、そこまでのことを言っちゃっていいのかな。

鴻池:作家が死んでると好きなことを観客は言えるけど、生きていると言えないものなんだよね。

坂本:関係ないかもだけど、鴻池さんが前に “母なる男根”って言っていましたよね。

鴻池:えっ、私がそんなことを!?

坂本:あれ?何かの話で、そういう言葉が出て来たじゃないですか。違いました?

鴻池:ああ、縄文時代の話のことかな。30歳くらいまでの寿命で、14、5歳から子供を生み続けて、平均10人生んでもっと死ぬみたいことが繰り返され、毎年生まれたり死んだりが家のなかで繰り返されていた。そして、家の真ん中には男根の石像が大事なものとしてある。“第2の道具”と言われて、実用的な道具とは別に、その道具があれば時空を超えたところに希望が持てた。そういう象徴を置いていたという話で、それが男根なんだけど、男根を見ることは女性のエクスタシーなのかなって私が言ったんだよね。あれ、話がおかしくなっていっちゃう。見るってことで快感をえるのは幸せなことで…ってどんどん変なことになってく、誰か何とかしてください。

坂本:ごめんなさい!なんか余計なこと言っちゃいましたかね。

鴻池:だから、家の真ん中に 男根なる石棒を置いていたんじゃないかと坂本さんに言ったんだよね。その大前提には、それがとても大事である、という概念があったわけです。男根をまつることを変なことだと思わない社会があったわけですよ。私たちみたいにそれを隠さないわけだから。で、それが何で東恩納さんと結びつくの。

坂本:男根なのに、女性を反映しているところが気になって、それで…母なる男根って言葉が…。

藤原:坂本さんのなかで生まれた言葉じゃないの。

鴻池:でも、そういうことかもしれないよね。

藤原:私は、そこまで思いが及ばないな。まだよくわからない。

鴻池:えりみさんは、テキストで古事記のアメノウズメがホトを見せて踊るという場面をもちいて、闇に渦巻く猥雑性と笑いの力において日本と西洋の光を対比していたけど、その視点で見ると東恩納作品はどうなんですかね。

藤原:東恩納さんは猥雑性を出せない人なんですよね。リング状蛍光灯を黒いリボンで結ぶインスタレーションは、見ようによってはすごくエロティックなんですよね。本人がどこまで意識しているかわからないけど、形而上レベル、この世を超えてしまった所に光を収束できないところが、ここにでてきちゃうんじゃないかなと思ったし、ブラックシャンデリアの黒い光につながっていくのかなと思いました。

鴻池:ここは、もっと知りたい感じがしました。

坂本:すごく面白いところですよね。

鴻池:今日話したような、彼のプライベートな部分というのは、今回のアーティストブックには出てこないわけですよね。プライベートに一歩踏み込まないと見えないものなんだなって話していて思いました。

藤原:それは彼が徹底的に嫌う部分ですよね。

坂本:でも、他人のプライベートは結構聞いてくる気がしますけど。

鴻池:作品は、プライベートであろうが何であろうが、境界をつけず何でも見えなきゃってことです。こういうトークがある場合は、そこまで踏み込まないとですよね。できるだけ情報は欲しいしね。でも、作家が生きているとやりにくいことなんだなと思いましたね。どうして生きている作家のことを人が書かないかがよくわかる。物故作家についてはバンバン書くのに、勇気をもってもっと生きている作家のことを取り上げて書いて欲しいよね。

藤原:難しいですよね。生きている間に出てこない資料とか証言がありますからね。

鴻池:作家って、隠しているものの方が多かったりしますからね。

藤原:同じことは、藤田嗣治にも言えると思うけど、夫人が亡くなって出て来るものはたくさんあると思う。手紙とか記録とか。

鴻池:秋田近代美術館がリニューアルで、藤田の作品を展示するんですけどね。藤田の作品を見ていると、近代がすごく良く見えてくるんですよ。近代のあり方と彼が日本を捨てていったことを、誰かもっとちゃんと見せてくれないのかな。

藤原:東京国立近代美術館での展覧会は、充実していましたよね。秋田には、藤田の大作<秋田の祭り>がありますね。平野政吉という豪商が藤田を秋田によんで、藤田は生活費を稼ぐためにも滞在して大作を描いた。秋田近代美術館は、新たな建物を建てて、<秋田の祭り>やコレクションを全部移すんですよね。

鴻池:観客が手放しに賞賛している姿を、最後は日本にサヨナラしちゃった藤田は、今どういうふうに見ているのかと考えると、複雑な時代背景が見えて来ると思います。美術館が近代にできたことや、美術や芸術のあり方を問いただすことと、藤田の人生を一緒に見るのも面白いと思います。歴史を知らないで、美術館にあるから貴重だと見せて行く時代ではもうないわけで、観客が見抜いていく時代に入ったなかで、美術館はどういう提案をしていくのか。観客の方が進んでいるからね。秋田近代美術館には博物館から来ている学芸員の方もいて、そっちの方から見て行く方が面白かったりもする。東恩納さんにしても、92、3年にアートが不毛だと言われていた時代からずっとやってきたわけだから、すごくタフですよね。

藤原:彼は最初イラストレーターとして食べながら作品をつくっていたんですね。だから、<apparition>のような手を動かして描くということは、あくまでも食べるために使う技術であって、自分の作品に使う技術ではなかった。

鴻池:ああ、私とそこが通じるのかな。

藤原:でも、92、3年以降にバブルがはじけると、企業のPR誌とかイラストレーターが仕事をする場が、どんどん縮小していくわけですよ。彼が作品だけで生活をまわしていけるようになったのは90年代後半じゃないかな。だから、すごく大変な時代を乗り越えて来ていますよ。首尾一貫して、作品でやっていることはブレてないですから。

鴻池:どうしたらブレるかな、意地悪したくなっちゃう。

 

坂本:観客の方が進んでいるということで、ヴォルカノイズで今回初めて東恩納作品を見たという方もいらっしゃるので、どのように見たのか教えてください。

藤原:男性は、どういうふうに見ているんだろう。こんな機会めったにないから。

参加者I:東恩納さん歴1週間ですけど、<シャンデリア>はメカニカルなもので、人間的な対象には見えないのに、どこかすごく艶かしく見えます。もう少しゴツゴツしていてもおかしくないのに、男性っぽさがなくて。

鴻池:確かに、やわらかい感じですね。

参加者Y:東恩納さんを知ったのは2年くらい前の写真集です。<シャンデリア>を見た時には、エイリアンみたいだなと思いました。蛍光灯むき出しでワイルドな感じがした。昨年、初めて実物を軽井沢現代美術館で見て思っていた通りだった。だから、僕のなかでは<シャンデリア>作家でした。今回、初めて違う作品を見て、最初は作品に見えなかった。<シャンデリア>のヴァリエーションが並ぶと思っていたのに、壁紙のヘナヘナしたものが壁に張り付いていて、これは何だろうかと。でも、自分なりに解釈したら、幼稚園の壁に見えてきて、この周りでお遊戯をする光景が見えました。それで、東恩納さんは保母さんなんだ、ということになりました。

坂本:東恩納さんが保母さん?恐ろしいことになりましたね。

参加者O:前に東恩納さんと食事の席で一緒になった時、フリージャズの阿部薫が鈴木いづみに母性を求めながら一緒に暮らしていた話をしたら、「えっ、阿部薫とか聞くの?」ってガッって食いついてきて、こんなに食いついてくる人だったかと不思議だったけど、今日の話を聞いて何となく見えてきた気がします。

参加者S:92、3年にイマーゴという雑誌があって、その表紙を東恩納さんに描いて頂いていた時期がありました。青土社のHPから見る事ができます。

鴻池:すごい貴重、ちょっと見たいですね。

 

 

参加者S:男根という言葉が出ましたけど、<シャンデリア>は、構造的には中心部分を蛍光灯にしなくてもいいのに直管の蛍光灯を置いて、それをリング状蛍光灯で囲んでいるというのは、何かしらの精神分析的な隠蔽が行われている気がしますね。一見、やわらかく見えるけれど、中心には直線的なものが入っている。

鴻池:隠蔽ね。

藤原:すごく面白い見方ですね。リング状だけはあっても直管だけでつくっている<シャンデリア>はないよね。

参加者Y:名前も知っていたし、作品も写真では見たことあったけど好きではなかった。特に、この<シャンデリア>は嫌な感じがした。

坂本:何が嫌だったんでしょう。

参加者Y:蛍光管がすごく嫌だった。

坂本:蛍光管の何が嫌だったんですか。

参加者Y:色や光り方が好きではなかった。だから、見ないようにしてきた作家だったんです。でも、ヴォルカノイズでやるということで来てみました。やっぱり蛍光灯作品は、見えているけど入ってこない。今日皆さんは触れませんが、一番 “不気味なもの“に直結するのは<廻るWallpaper>で、結構生々しい作品だなと思いました。

坂本:展示にいらした時に、<廻るWallpaper>の回転によって床にすれる音を録っていらっしゃいましたよね。今回のプロジェクトで、<シャンデリア>が写真でも見られる表向きのメイン作品だとすれば、<廻るWallpaper>は裏メインで、来て見ないとどうしようもない作品で本当に生々しさを感じます。私は、この作品を勝手に<東恩納さん>と呼んでいます。彼自身が嫌っている生身の体とかネットリした部分が、模索の時期だからか一つの形として出て来ている気がします。

 

鴻池:そういうことを思ったら好きとか嫌いとか関係なく、直感的に作品にするってすごいこと。なかなかできないけど、しちゃいたくなっちゃう勝手に手が動いちゃうんだね。ずっとつくり続けている人のフットワークだよね。

藤原:この空間のもっている雰囲気とか性格もあるかもしれませんね。この作品は、いきなりマリアン•ボエスキーの個展ではやらないと思うよ。

鴻池:私は一番いいと思いました。

坂本:私もです。この作品は、今回のプロジェクトから生まれたって感じがする。こればっかりはHPとかでは伝えられないので、来た方がどう見るかはとても興味深いです。

 

参加者I:六本木クロッシングで初めて蛍光灯作品を見たけど、あまり女性的なものは意識したことないです。ただ、<apparition>は、このなかで異質な感じがしますね。

参加者K:でも、この世とあの世の間というのは全てに共通している気がする。死ぬ前に見る光景というか。欧米で<シャンデリア>が評価されるというのも、中間照明が普通だから、蛍光灯の光は非日常的でこういうキッパリした光は、死ぬ前くらいにしか見ないんじゃなかと思いました。

鴻池:じゃ、いつも私たちは死ぬ光を見ているの?さっきの藤原さんの話では、トイレとかでも。死ぬ光を見た事あるんですか。

参加者K:見たことはないですけど、「ゴースト」という海外ドラマで、この世の人をあの世に送る時に必ず光を見るんですよ。ピカーッて光が見えたら成仏できるっていう。

藤原:東恩納さんの作品には、この日常にくっついている異界みたいなものを感じますよね。初期の作品から見えていて、どんどんその傾向が強くなってきた。一見乙女らしさとかかわいらしさを持ちながら、ふと気づくと作品自体は違うところへの扉を開いている。この<廻るWallpaper>が、どんな扉を開くかはまだわからないですね。

坂本:本人の言葉としては、今まで使っていた境界にあるものとしての壁紙が、作品よりも前に出て来て暴れ出していると言っていました。あと、クルクルと巻かれているのは、こういう壁紙のロールから渦を巻いて出てくる感じをやってみたかったと。

鴻池:よくそうやって彼は私と遊んでくれる。東恩納さんが面白いよねって言って、私もニコニコして面白い面白いって言って。東恩納さんがいろいろ私に教えてくれるのは、こういうことですね。日常の風景のなかに面白いものが見えていたりすると、ププッて笑いながら教えてくれたりする。

坂本:あと、塔にも見えるでしょって言っていました。様々なイメージがあるようです。

鴻池:もっとこういうことを全開させて、やりたい放題やらせたいですね。販売をするギャラリーとかじゃない場所でね。東恩納さんの場合は、作品売らなきゃとか、そういうこと一度全部ヌキにして。

坂本:もっとパブリックな場所でやりたい。

参加者A:ワークショップが見てみたいです。

藤原:やらないでしょ、ワークショップ。

参加者A:そういう人がはじけてやるところを見てみたい。

鴻池:美術館で展覧会やる条件としてワークショップとかどうですか。やると思いますけどね。

坂本:確かに、世田谷美術館の時も、トーク自体あまりやらない方だったのに、3回もやっていましたから、条件として出てくればやるかもしれないですね。

参加者A:<廻るWallpaper>とかつくったら楽しいですよね。

鴻池:いっぱい廻っていたら楽しいでしょうね。今年、そういえばブリュッセルで展示があるじゃないですか、これ10本ぐらいバーッとやりたいですよね。

藤原:アートフェアでやることでもない気がする。

坂本:美術館でやるっていうのも、何か違う気がしますけどね。

鴻池:普通の人の家で、それが廻っていたらかなり不気味ですけどね。東恩納さんにとって展覧会場は、普通の人の家なのかもね。

藤原:そういう展示はやったことないですね。木造民家とかかな。

坂本:社宅とか。

参加者O:住宅展示場とか借りたらどうですか。

藤原:それは以前、モリモトのショールームでやっていましたよね。そういえば、ここも畳がしいてあるけど、会期中に小さなテーブルを真ん中に置いて、その上に冊子やお菓子の鉢を置いて、そこで私と坂本さんが話をしていたら東恩納さんが入ってきて、「なにこれ、やり過ぎです」って言われましたね。家とか居間とかをモチーフにするわりには、そういうこだわりは強いですよね。

坂本:後日談があって、テーブルに座って<シャンデリア>を見る観客の姿を、すでに私が記録写真で撮っていたんです。それで<apparition ”出現”> は非日常ではなく、すぐそこの日常にあるのが見えた気がした。「Picnic at Hanging Rock」の映画でも感じたことです。それは、見る人の眼差しによっても発見されると、観客が来場してわかるようになりました。突然の訪問者のように“出現”する<シャンデリア>の写真を告知に使いたいと頼んだら、意外にあっさりOKだったりして。だから、<廻る casino greece Wallpaper>ワークショップの実現も不可能ではないかもしれません。

鴻池:誰でもできちゃうんじゃない。死ぬ前に見る光景。

藤原:これは怖いね、死ぬ前に見たくないね。光の方がいいな。

坂本:この作品の場合は、死ぬ前に聴く音、とも言えますね。さて、こうして話しているうちに、予定の時間を1時間もオーバーしてしまいました。今日は藤原さん、鴻池さん、そして参加者の皆さんからいろいろなお話を聞けて、とても面白かったです。もしお時間があるようでしたら、サンドウィッチやお酒もまだありますので、この後も話し続けて頂ければと思います。ひとまずここで、作者不在トークセッション 作家は何も気づいていない Picnic at Hanging Rockは、終了させて頂きます。長時間お付き合い頂きましてありがとうございました。