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鴻池朋子展「皮と針と糸と」新潟県立万代島美術館
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鴻池朋子展「根源的暴力Vol.2 あたらしいほね」群馬県立近代美術館
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鴻池朋子個展「根源的暴力」神奈川県民ホールギャラリー
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作家ステイトメント「根源的暴力」
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高嶋英男個展「空壺の人」
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リマッピング日比谷プロジェクト2014 都市と森の境界に現れるアート
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美術館ロッジプロジェクト 森吉山小屋  壁画設置作戦&報告会「森吉山小屋と雪の女王」
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目に見えないものと対話する方法「精霊の学校」
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鴻池朋子  Wild Things−Where Masters of Ecstasy Are
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鴻池朋子 Earthshine:Artist Statement
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鴻池朋子 Earthshine:Gallery Wendi Norris(San Francisco)
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大小島真木『遺伝子の地図ーChanting genes』
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大小島真木「The Knock」Vol.3
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大小島真木「The Knock」Vol.2
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大小島真木 遺伝子の地図 − chanting genes
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大小島真木「The Knock」Vol.1
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美術館ロッジ 作戦4「舟、森吉山小屋へ到着!」
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美術館ロッジ 作戦3「舟、森吉山を登る」3/13
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美術館ロッジ 作戦3「舟、森吉山を登る」初日(3/12)
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美術館ロッジ  作戦3「舟、森吉山を登る。」
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美術館ロッジ 森吉1•2作戦
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動く人間 04 : 福森伸
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ULTRA   3 New Artists
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動く人間 03:笹尾千草
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作者不在トークセッション Document <PART 1>
作者不在トークセッション Document <PART 1>
作者不在トークセッション Document <PART 2>
作者不在トークセッション Document <PART 2>
作者不在トークセッション Document <PART 3>
作者不在トークセッション Document <PART 3>
作家は何も気づいていない Picnic at Hanging Rock
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東恩納裕一 After the Picnic
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ミミオ図書館&試写会 in 東京
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隠れマウンテン&ヴォルカノイズ Vol.2
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隠れマウンテン&ヴォルカノイズ Vol.1
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作者不在トークセッション Document <PART 2>

坂本:特に、居間はお母さんが選んできたものの集まりというイメージが強い。

藤原:私や東恩納さんの世代の人が思い浮かべる、日本の一般家庭の平均的な居間と、今の20代とかの居間のイメージって違うと思うんですよ。私は、自分の母親のセンスがどうにも理解できなかった。でも、以前そのことを人に話したら、私たちの親の世代は、小、中、高校とフリルのついたワンピースが着たくても着られる時代ではなく、昔の少女雑誌に憧れをもってそうなりたいと思った時にできない時代に突入したのだからしょうがないと言われ、お説ごもっともと思いました。

坂本:センスの違いはあっても、親の選択で決められた空間にいる居心地の悪さは、どの世代にもあると思います。私は、女の子としてピンク色やフリルの洋服を着せられ、卯年生まれだからってウサギグッズを与えられました。どうして卯年に生まれただけで、ウサギづくしのなかで生活しなきゃいけないのか、本物のウサギは好きじゃないのに。でも、親が喜ぶことも何となくわかるし、がまんするわけですよ。だから、不幸とまではいかない、小さな闘いを子供は家庭のなかでしているのだと思います。親による一種のケージのような空間から、自分の好きな空間をつくるために家を出て行く、それが一つの成長の段階ですけど、そこから出る人と出ない人では、見えてくる空間の広さや光景が当然違ってきますよね。

鴻池:東恩納さんは、よく展覧会風景の写真を送ってくれるんですが、ヨーロッパの歴史的な空間に<シャンデリア>が展示されているのを見て、なぜか私は「つまんないね」って思っちゃったの。 確かに荘厳な空間なのですが、 いかにもって感じがして、誰かがやってそうな気がしたんですよね。彼の作品は、空間をかっこよく見せることに本質があるわけじゃないじゃん、って思ったのね。でも、ヨーロッパのかっこいい空間に演出されて、作家はついノッちゃうんだよね。その気持ちもよくわかって当然な感じがして、「つまんないね」って言っちゃった。斎藤環さんがテキストに書いていた「ヤコブの梯子」のように高いところから光を受けて、私はその光がないと存在しないというのと、東恩納作品は違うでしょ。皆が賞賛しても、本質とは違った展示になっていくから、<シャンデリア>は、観客から求められるものと彼のやりたいことの間で迷うんじゃないかな。

藤原:それはかなり感じていると思う。

鴻池:だってね、光っているものって皆見るんですよ。光るか動いていればね。

坂本:光るか、動いてれば…(<シャンデリア>と<廻るWallpaper>を指さす)。

鴻池:そうそう、自分の作品でやっていても、光って動いていれば観客は見るんだよね。それを観客は作品の良さと勘違いすることがある。 作家はわかっていますが。 見せるってことは、必ず観客とのやりとりを求めて見せたいってことだよね。観客が「ステキ」と言っちゃうと、どこか脳のなかにインプットされていて、次の制作や展覧会に反映されているわけですね。東恩納さんは、上手いから広い空間でもできちゃうんですよ。

 

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坂本:以前、あまりに東恩納さんが上手くシャンデリアを組み立てるのを見て、思わず素直に「本当に器用ですよね」と言ってしまったことがあり、「作家に対して器用というのは褒め言葉ではありませんよ」と言われました。頭のなかではもっとケオティックなものが渦巻いているのに、展示をするとパシッときまって破綻がない。センスのよさが邪魔をすることもあるんですかね。

鴻池:センスがいいと嫌いな泥臭さって出にくくなっちゃうのよ。センスが上を行ってしまうからね。泥臭さをカバーして洗練されるから、何かは隠れるんだよね。それで仕上げたいと作家は思うのかな。

藤原:前から不思議だったけど、普通は個展の前は、作家は寝てなかったり疲労困憊しているけど、東恩納さんほど余裕をもって個展にのぞんでいる作家はいないですよ。

鴻池:あっ面白い、そこかも。マックスを向かえて展覧会じゃなくて、すでに一回降りてるんだね。

藤原:そう、もう今回はこれ!って、バサッと決めてくんですね。何かひっかかっている部分は、自分の透明プラスティックボックスに入れておいて、もう1回やり直すみたいな。あがいている東恩納さんを見たことがない。本人は、自分のセンスで決定しているとは思ってないんだけれども。

鴻池:だから、もう一つ踏み込んだ提案をしたくなっちゃうんですよね。でも、そうじゃなくてもいいというのがアートの世界だから。どんな形でも着地点というのは違うわけだから、それを認めちゃうと言えなくなる。

藤原:作家同士は難しいよね。

鴻池:あまり作家同士だと思って話してない。作家で友達として話すのは、東恩納さんくらいなんですよ。

藤原:さっき鴻池さんが話していた、日本人作家の海外でのグループ展は、当事者の作家にしてみれば、ありえないシチュエーションに無理矢理連れ込まれたって感じですよね。そういう不思議な緊張感も、作家同士にはあるんでしょうね。

鴻池:あと、海外の作家とのグループ展の時に感じたのは、他の作品のコンセプトは社会的な問題を孕んでいるけど、私の作品は一切そうじゃないのに人が集まっているのを見て、そういうことじゃないんだ万歳!と言いたくなった。ものをつくることが、もっと根源的な部分に作用する国に育っているんだなと思った。だから、東恩納さんの<シャンデリア>も、昭和の象徴とか豊かさを求めた時代のモチーフと言われているけど、そういうことだけ言っていても見えてこないんだろうなと思いました。

藤原:東恩納さん自身が、「ファンシー」、「不気味なもの」、「昭和」って言葉にこだわり過ぎているところがあると思う。彼が、蛍光灯がLEDに変わって作品がつくれなくなれば “賞味期限“が切れると言った時に、すごく違和感があった。どうして作家が自分の作品を話す時に、その言葉を使うのか。ライトアートの歴史には関心がないとも言っていたけど、それも納得できなかったから、私はダン•フレヴィンについても書いたんですね。そしたら、彼も“賞味期限”という言葉を使わなくなった。

坂本:“賞味期限”と書くのをやめたのは、藤原さんに言われたからだったんだ。

藤原:長い歴史のなかで言えば、自分も20世紀のライトアートの一人になるんだろうなと、彼は言葉ではっきり言ったんです。今まで扱ってきた戦後の過剰な光が、震災後にどのように変わっていくか、すごく敏感に反応しているんだと思いますね。今回の展示と私がテキストを書いている間に、彼もいろいろな検討をしたと思うのね。だから、LEDには興味ない、ライトアートには興味ない、賞味期限、この3つが変わったんですよ。変な現象が起きていて、LEDの消費電力が少ないからと言ってバンバン使われているのね。ある会社では、節電でオフィスエリアは蛍光管ぬいているのに、トイレはやたら眩しいLEDの真っ白な光になっていた。だから、消費電力の少ないLEDの外灯やイルミネーションは、逆に増えてきていると東恩納さんも言っていました。

坂本:先端的な技術を用いているのではないという意味で、ライトアート、テクノロジーではないと彼は言っていて、もしLEDに彼が興味を持つような意味合いがこびりついて見えてくれば使うかもしれませんね。

藤原:90年代に入ってからも、新たに蛍光管を使う作家は出て来ているんですね。黒いゴムを蛍光管のように見せて、床に積み上げる作品もありましたね。東恩納さんが、ライトアート=最先端技術と言っているのは、彼の固定概念かもしれないですね。だから、もっと後から見返すと、蛍光管を使っていることは時代をダイレクトに反映していることになるかもしれない。

坂本:配線はどうですか。今話されているライトアートでは、光そのものは扱っても配線は見せませんよね。

藤原:マテリアリティは、光の非物質性を浸食しますからね。特に、欧米の光を使う作家は、光の形而上性をとどめていると思います。そういう意味で私はすごく面白いです。

鴻池:なんか、中途半端じゃないですか。見せるとしたら嘘でも倍つくっちゃうとか、そういうことを彼はしないよね。 仕事はまめに手が入っているので、中途半端というのは、作品がということではなくて、力が宙に浮いたような完成の仕方、という感じかな。 そして非常に真面目。LEDはやらない、ライトアートではない、賞味期限と言っていたのに、えりみさんに言われて変えちゃうとか、お母さんに言われて「はい」って言っているような感じがして。それがダメだと言う意味ではなくて、すごく東恩納さんの本質をついているような感じがしたのにね。また、普通は作家の言葉を優先しがちなのに、えりみさんは、マイペースで横からズバッと入ってっちゃうところが良いよね。 そういう人を東恩納さんは、常に側に置くような感じがする。

藤原:東恩納さんの意識のなかで関係あるかないかと、この作品を見る私の問題は別ですよね。この作品を、私のなかで位置づけたいということなんですよね。見る人の整理の仕方と作家の整理の仕方は違うからね。

鴻池:そういう人が東恩納さんにとっては必要で、ただ自分の世界に閉じこもっているわけではなく、自分では開けないから開いてくれるような人をあえて自分の前に置くようなことをしますよね。私の存在だって、普通はズバッと言ったらNOと言ってサヨナラになっちゃうところを、最初は相容れなくてもそれを欲していたかのようにも見える。先回りする母性とは言わないけれども、こっちよ、あっちよ、今飛ぶところだ!とか、常にそういう女性がいますよね。

藤原:ユミコチバの千葉さんもマリアン•ボエスキーのマリアンも女性ですね。

坂本:だから、0からつくり出すというよりは、空間、素材、そういう女性とかに押されて押されて、何かを生み出す作家なのかもしれませんね。

鴻池:それって、したたかなんじゃないのかな。

坂本:そうなの、したたかなんですよ。

鴻池:はい、東恩納さんはしたたか、というところまで来ました。

坂本:決して悪い意味ではなくて、素朴さを持ちながらもしたたかというのが、東恩納さんのイメージです。そこを何で語ればいいのかな、女性性なのか何なのか。

鴻池:お父さんは、父性ってどうなんだろう。

藤原:権威主義が嫌いって、さっきアンケートに書いてありましたけど。

坂本:お父さんじゃない。

藤原:マッチョイズム的なものは否定しますよね。

坂本:見ないですよね。東恩納さんは “嫌い” がない人のような気がします。 “好き”か “いない” かだけ。

藤原:的確!

鴻池:この世に存在していないような。

坂本:存在していないから見えていないのが、見ているとよくわかる。

鴻池:それは守られているからできることでしょ。もし周りに誰もいなくなって、歳をとっていったらどうなるんですか。

坂本:どうなるんですか(観客に問う)。自分にも問いかけますよね。

鴻池:自分にも問いかける。今は東恩納さんの話だけれど、多かれ少なかれ、自分もそういうものをもって、誰も入れないような空間でやりとりをしている。

藤原:坂本さんは、どういうきっかけで世田谷美術館で企画することになったんですか。

坂本:作品との出会いは、世田谷美術館の「時代の体温」展。あのなかで、ひときわ不穏な空気を放っていた作品でした。その後、東恩納さんとはアミーバーのようにじわじわと関係がつくられて、細かいメールのやりとりで、いろいろな話をしていくうちに蛍光管の話も出て来た。「Light Bright Picnic」は、企画しようと始めたわけではなく、やりとりを続けるなかで、企画にするしかないんじゃないのとなったんですね。2人で話してるだけじゃ、もったいないですからね。