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ミミオ図書館 STATEMENT
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鮎川ミミオ”鍋”図書館
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動く人間 02:今泉清司
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ミミオ図書館 in 船引 REPORT
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ミミオ図書館 in 船引
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動く人間 01:梶原千恵
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ミミオ図書館 in 女川 REPORT
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ミミオ図書館 in 石巻市図書館 REPORT
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ミミオ図書館 in 石巻市図書館
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ミミオ図書館設立から石巻へ
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動く人間 02:今泉清司

インタビュアー:坂本里英子(VOLCANOISE代表)

 

ミミオ図書館 in 船引の協力者である今泉さんは、田村市の行政に38年余勤務していた。2011年の3月末日に退職を控えていた矢先に震災が起こり、退職は1ヶ月延長、都路行政局長として職務にあたった。

 

 

(左から)今泉清司、坂本里英子

2012年8月5日(日)ミミオ図書館 in 船引 最終日 船引市総合福祉センターにて

 

 

坂本:視察でお伺いした時、震災直後はとにかく「逃げて」と言われて、逃げる方向もわからずに皆さんが避難したというお話をされていましたね。

今泉:確かにそういう状況もありました。双葉町や大熊町民は、車を手配されても、どこに逃げていいのかわからない状態でした。ただ、都路町民は船引町に避難することが決まっていたので、そこまで大きな混乱はありませんでした。避難用のバスも用意されていましたし、3月12日の夜9時頃には、この総合福祉センターを始め船引中学校などにも700人くらい避難しました。そのなかで、市長の考えを住民に伝えて、状況判断をしなくちゃならない立場にいたので、避難した人たちに対しての大きな責任がありました。こういう事態は初めてで、どう対応をして良いのか見えない状況でしたので、大変苦労しました。

坂本:全てが大変な状況だったとは思いますが、なかでも何が一番今までにない経験でしたか。

今泉:それまでは、都路町民3000人のことは大体把握していましたが、一斉に避難したことによって、どこに誰が避難しているのか全くわからなくなり、避難先の住所を特定するのに一番苦労しました。それからは、どこで何が必要とされているのかをずっと考えていました。震災後1ヶ月は、かなりひどかったです。電話がかかってくれば、その方の対応に1時間。いずれも皆さん不満や文句ですからね。

坂本:全てが今泉さんの所に集中したわけですね。

今泉:平成17年に田村5町村が合併して田村市が誕生、旧都路村の職員約80人のうち20人くらいが本庁に来ました。その職員たちは、都路町民が避難しているから何とかしなくてはと懸命でした。でも、それ以外の職員は他人事のような感じだった。どこか職員の間に溝があり、当時週2回ほど災害対策本部を開いていましたが、都路のことは都路で処理してくださいという雰囲気でしたね。ですから、判断する責任はかなり重たかったです。一緒に動いてくれたのは、ほとんどが都路の職員でした。

坂本:震災からの1ヶ月というのが、一番厳しい時期でしたか。

今泉:そう、3月12日以降。あの時、9kgくらい痩せましたね。でも、やって当たり前の責務ですからね。4月30日に退職して、1週間後に職場の人たちと会った時は「顔つきが変わりましたね」と言われました。厳しい顔が、今みたいな柔らかい表情になったみたいです。

坂本:ご家族は、今泉さんの変化について何か言われましたか。

今泉:ほとんどしゃべらなかったですから。家族は、船引から郡山、そして埼玉へと避難して、3週間くらいは会えなかった。ようやく6人が一緒になったのは、4月の始めでしたね。ミミオ図書館を開館した仮設住宅にいる人たちも、除染が終わらないと都路には帰れないですからね。ただ、町への行き来が自由になったので、それは良かったと思っています。

坂本:都路の「灯まつり」を手伝わせて頂いて、とても自然が美しいのどかな風景を見ました。でも、人がいなくて田畑は草が伸び放題でした。もとにもどるには、3年以上はかかると言われていますね。

今泉:そうですね。先は長いです。


 

坂本:今泉さんは、とても活動的に見えますが、昔からいろいろと趣味をお持ちなんですか。

今泉:うちの子供が、小学5年生の時にソフトボールやってたんですね。ある試合で、審判の判定に頭に来て、俺がやんねぇとだめだと思って審判を始めました。今では、全国大会もできるようになりましたし、平成7年の福島の国体にも審判として出ました。土日は、大体ソフトボールの審判に行ってます。今日も行ってきましたよ。

坂本:そのお姿も見てみたかったです。

今泉:土日は出かけていますけど、平日は家にまっすぐ帰って、家族とも一緒に過ごしてますよ(笑)。

坂本:震災の前と後で、ご家族との関係が変わったことはありますか。

今泉:しばらく会えなかったので、やっぱり家族との絆は大事にしなくちゃいけないなと思いました。ただ、公務員は守秘義務がありますからね。本当は、ご飯でも食べながら愚痴をこぼすとか、いろいろ話せると発散できるんだけど、それができないというのが一番辛かったですよ。話せないことばかりだったからね。

趣味では、アウトドアが好きなので、アユ釣り、ヤマメ釣りなどもやっています。ゴルフもやります。ストレスを溜めないためにも遊ぶことは大事。特に、審判は「ストライク!」、「アウト!」、「セーフ!」とか、見ている人に聞こえる声を腹から出さないといけないから、ストレス発散になっていますね。ただ、口に出して言う事ではないが、あんまり褒めるのは嫌なんだけど…、家族の理解があるから、こうして出かけたり好きなことさせてもらえてるんですよね。感謝しております。

坂本:「灯まつり」で奥様とお会いした時、「ウチの人は、全然家に帰ってこない」とサラッと言われていて、その言い方に愛情深さを感じました。本当に怒っていたら、言わないでしょうから。お祭りで、奥様が屋台を出していた愛都路(めとろ)の会というのは、婦人会ですよね。普段はどのような活動をされているんですか。

今泉:都路町の各種イベント協力など、現在は福祉の森の仮設住宅に行って、ボランティアの縫い物教室をし、吊し雛や布で椿をつくったりしております。妻も行政に奉職、特別養護老人ホームの園長など公職にいたことから、地域住民への恩返しのつもりで頑張っています。

坂本:それなら、今泉さんのお仕事や趣味に対しても理解がありますよね。

今泉:もう、俺に言ってもしょうがないと諦めてるんじゃないかな(笑)。

坂本:奥様も活動されているからじゃないですか。逆に、ずっと家にいて「あなた、今日は何時に帰ってくるの。どこにいるの」みたいな方だったら、今泉さんには合わないでしょうね(笑)。

今泉:それやられたら、本当に最悪だな(笑)。自分では、やりたいことは全てやってきたつもりですね。

坂本:これから、やりたいことはありますか。

今泉:そうだな。あるとすれば、東北を旅してみたいな。

 

 

 

 

坂本:「灯まつり」のような地域の催しでは、今泉さんはどのような役割をされているんですか。

今泉:「都路町の復興を考える会」というのがあって、市長、県知事などに都路の現状を伝えて要望書を提出するなど都路を何とかしなくてはと考えていた矢先、被災市町村地域コミュニテイー再生支援事業の補助金で都路の復興祭みたいなことをやってみるかとなりました。この会では、お祭りをバックアップして、メッセージの書かれたカップの蝋燭で「絆」という絵文字をミミオ図書館の皆さんにつくって頂いたり、花火を打ち上げたりしたんですね。今、生活支援相談員のチーフをやっていることで、いろいろな人に出会えたことは本当に助かりました。ボランティアの方とも知り合いになるし、自分のためにもなりましたよ。

坂本:私たちも今泉さんと出会えたことを有難く思っています。ミミオ図書館のことを今泉さんに紹介してくださった唐墨さんとは、どのような出会いだったのですか。

今泉:義理の姉が都路でスタンドをやっていて、そこに唐墨さんがいろいろな物資をもってきてくださっていました。そこでの会話で、ボランティアセンターに勤務し、活動しているので連絡をしてみたらとなり、実際に連絡をとるようになってからのお付き合いですね。

坂本:ミミオ図書館について、鴻池館長から今泉さんにご連絡をさせて頂いたんですが、最初に話を聞かれた時にはどう思われましたか。

今泉:電話を受けて、すぐにお願いしますと言いました。避難している人たちのためになることであれば、何でもやろうとしていますので絶対に拒否はしないですね。できないことを考えるのではなく、できるようにするにはどうするかを我々は考えればいいわけですよね。こちらができる方法で、相手も納得してもらえるかは話合えばいいことであって、どうしてもダメな場合はしょうがないですけど、一方的に断る必要はないと思っています。

坂本:日程のご希望も早くに出して頂き、迅速に対応して頂いてとても助かりました。

今泉:8月1日-3日は、子供たちが東京に行くことになったのは予定外だったけど、もっと、じいちゃんやばあちゃんにも来てほしかったですね。子供がメインみたいな受け取り方になってしまったから、残念でしかたないですけどね。

坂本:そうですね。幅広い層の方々に来て頂けるといいなといつも思っています。でも、今回は地元のお祭りを手伝わせて頂いたり、仮設住宅にまで泊まらせて頂いて、今までとは違う形のミミオ図書館になりました。ボランティアにとって、泊まる場所があるというのは本当に助かりました。船引の宿自体、お客さんが来ないということで営業している所も少ないようですね。

今泉:やっぱり船引には人が来ないですよ。今は、避難している人がいるから人口が多いですけど、もとにもどれば、大型店の経営は大変になってくるんじゃないかな。

坂本:もともと、田村市には観光でどのくらいの方たちがいらっしゃるんですか。

今泉:一番有名なのは「あぶくま洞」ですね。年間30万人の観光客が来ます。田村富士ではパラグライダーができたり、常葉町のムシムシランドも何万人か来ますね。あとは桜の時期に人が来るかな。やっぱり一番は「あぶくま洞」だけど、リピーターはあまりいないでしょうね。

坂本:都路はどうですか。

今泉:五十人山の山開きの時に2000人くらい来ますね。行司ケ滝にも年間で1000人くらい。灯まつりは、前回9000人までいきました。

坂本:いつか都路でもミミオ図書館をやりたいですし、船引にもまた戻ってきたいです。

今泉:そうだな。冬は寒いから、来年かな。都路でも開館できそうな場所はたくさんありますよ。

 

 

★今泉清司(いまいずみ せいじ)プロフィール

1950年11月1日、寅年生まれ(62歳)。生まれも育ちも旧都路村。大学を目指していたが、父の急死により諦め、旧都路村役場に奉職。昭和46年結婚2男を授かるが長男は二十歳目前にして不治の病で逝く、現在は二男の子、1女1男の孫たちと同居生活で喧嘩をしながら楽しく過ごしている。行政に38年余勤務後、地域住民への恩返しとして行政区長やボランテイア活動をしている。 

 

★福島民報の「民報サロン」に掲載された今泉さんの手記 No.1-No.6(原稿)

No.1-2.pdf •No.3-4.pdf •No.5-6.pdf